初めて交わした言葉。

  初めて交わした視線。



  今でも、思い出せる、はっきりと。

  それは細胞に、遺伝子に直接刻み込まれたような、強烈な―――――――



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  始業式の翌日。
  一限目の授業開始まではまだ後15分ほどあるだろうか。はすでに自分の席に着いていた。
  軽く見回してみたが、咲の姿は未だない。
  授業の準備をしながら、はぼーっと昨日の事を考えていた。
  席を外していた間に、友人の陰謀(としか考えられない)により学級委員長に仕立て上げられた。そして、昨日決めた席順。
  理不尽な選出方法に理不尽な宇宙の真理且つ委員長の運命とやら。


  (やっぱり納得いかない…)


  とはいえ、今更責任放棄する訳に行かない事もわかってる。
  は、ふと自分の席の左隣―――――――昨日からずっと空席のままの机に目をやった。
  未だ机の中は空っぽ。
  今日も、来ないつもりだろうか。
  そんなことをとりとめもなく考えていた直後、乱暴に教室の扉が開く音が響き、誰かが入ってきた気配がした。
  そのままその気配は自分へと近づき、そのまま教室の最後部を通っての後ろをも通り過ぎ―――――――


  (え?)


  ふ、と人の気配に視線を上げる。



  きらり。
  窓から差し込む朝の陽が、椅子に座ったままのからは逆光となって、気配の人物の姿を影へと追い込む。
  きらり。
  見事なまでに逆立った、透き通りそうなほどの金が、陽に煌めいていた。


  きらり。ふわり。きらり。


  瞬間、その煌めきに見入ってしまったの視線に気づいたのか、蛭魔は一瞬こちらへと視線を投げるが、
  そのまま荷物を乱暴に床に置くと、無言のまま机へとその長い脚を投げ出し、
  荷物の中から手馴れた手つきでノートパソコンを取り出す。

 
  カタカタカタカタカタカタ。
  蛭魔は、何も気にとめる事のない様子でパソコンの画面と向き合い、何かしらの作業を始めた。
  気づけば先ほどより人数も増えている教室内だったが、それに反比例して雑音は小さくなっている。
  殆どの生徒が、廊下側のドア付近に寄って何やらこちらを伺っているような様子だった。
 

 「おはよう」
 「あ?」


  不意に自分に向けられた声に、目の前の男は多少なりとも驚いた様子で視線を画面から外し、こちらを振り向いた。


 「貴方が、蛭魔君―――でしょ?」
 「あぁ―――って、誰だ?オマエ」
 「。一応クラスメイト。且つ、席もお隣さま。不本意ながら、学級委員長」
 「なんだそれ、長ぇ自己紹介だな」


  で、その学級委員長様が何の用だよ、と再び画面に目を戻してしまった蛭魔が問う。


 「あなた、昨日学校来てなかったの?」
 「あ?そんなんおめぇに関係ないだろ」


  相変わらず画面から目を外す事もなく成立する会話。


 「関係あるわよ。私、学級委員長。クラスメイトの素行にも気を配る必要があるでしょ」
 「へーへー。そりゃご苦労なこったー」


  聞いているのやらいないのやら、まるでこちらには興味なさそうなその彼の物言いが、
  不幸にもの性格に火をつけたらしい。


 「他人事のように流すなっ。そもそもまず机に脚乗せるなっ!人と話す時は目を見て喋るっ!」


  ぐい、とは蛭魔の顔を両手で挟むと、そのまま強引に右へ90度ひねる。
  自分の背後からは、ヒィ!という悲鳴と、息を飲む気配。


 「てめ、何しやがるっ」


  目の前には、蛭魔の怒りに満ちた瞳。後ろの観衆達の空気が一層凍りついたのが目をやらずとも分かる。
  沈黙。
  ここで眼を逸らした方が負けだ。は蛭魔の顔をはさんでいた両手を降ろし、腕組みをして睨み合う。
 

 「はーっ、間に合ったぁっ!まだHR始まってないよね―――って、何して…ヒィッ!」


  ガラガラっ、と勢いよく教室の扉の開く音がし、聞きなれた友人の声が自分に話しかけ、止まる。


 「ちょちょちょ、何コレ?!何でこんな朝から激しい展開になっちゃってんの?!」
 「委員長vs蛭魔の一騎打ちさ」
 「あぁー、あれだけ昨日言ったのに…」


  後ろから咲とクラスメイト達の、声量を抑えた会話が聞こえてくる。
  チ、と小さく舌打ちの後、蛭魔はニィッと口元を上げて言った。


 「めんどーくさそうな女だなぁオイ」


  プチリ。
  自分の中からは、何かの切れる音がしたと思う。本当に。


 「、落ち着いて、冷静に」


  友人としての変化を悟ったのか、10歩ほど後ずさった位置からは、咲の限界まで抑えられた声。

 
 「まー、イインチョーなんて聞こえは立派だがガキの使いっパシリみてぇな肩書き欲しがるようなヤツぁ、
 センセーの言う事だけしっかり守ってガスッ」


  机の上に投げ出された、すらりと長い脚。
  わざと傾けながら椅子に座り、こちらには一瞥をくれた後再びご愛用のノートパソコンへと目を戻したまま喋る男の台詞は、
  最後まで発せられる事なく、何かと何かのぶつかる鈍い音と共に止まった。


 「ってめっ!何しやがるこの糞女っ!」


  油断していたのか、見事くっきりと手刀の跡の付いた脳天を左手で押さえながら、
  目の前の悪魔は勢い良くこちらへ向き直った。
  再び目と目が、正面からぶつかり合った。


 「ちょっ!っ!何やらかしちゃってんのよ〜〜〜!!」
 「子供みたいに口ばっか達者になってないで、少しは行動を伴ったらどうなの」
 「ぬぁんだとっ!?」


  火花が散る、とはまさにこのような状況を言うんじゃないだろうか。
  壮絶な睨み合いが続く中、前方の扉が開き、担任が教室へと現れた。
  どうやらいつの間にか、朝のHRの時刻になっていたらしい。


 「お前ら何やってんだ。そんな後ろに固まってないで、ほら席つけー」


  生徒達に阻まれて、教師からは二人が見えなかったのだろう。何も気づかない様子で、生徒達に着席を促す。
  ガタガタ、と各々の席へと戻っていくクラスメイトを見遣り、も浮きかけていた腰を再び自分の椅子へと戻した。


 「ケ、とか言ったか。覚えてやがれよ、糞委員長」
 「それはこちらの台詞」


  お互い言葉で応酬を交わしながら、は教壇の方へと、蛭魔はパソコンへと向き直る。
  何なのだ、この男は。
  は内心呆れたように、さきほどのやりとりを思い出す。口の悪さではこれまで出会った人間の誰も叶わないだろう。
  昨日、咲から聞いた話もあながち嘘ではないのかもしれない―――


 「――――――…たか??」
 「え、あ、はいっ!」


  不意に担任から名前を呼ばれ、慌てて返事し、その場で立ち上がる。


 「ケケ、ぼーっとしてんじゃねーよ」
 「うるさいっ」


  すかさず横から入る茶々は放っておいて、担任に問い返した。


 「すみません、何でしょうか」
 「副委員長を決めなきゃならんのだが…委員長のお前が決めてくれ。誰でもいい。指名して構わんぞ」


  副委員長。そういえば去年のクラスにもそんな役職の者がいた気がする。
  そもそも泥門高校にが転校してきたのは高1も終わり頃の2月だったので、
  殆どそういった決まりごとに縁がなかったのだ。
  自分の右隣にいる咲を指名しようか―――そう考えた時、ふとある考えがの頭を過ぎった。


 「誰でもいいんですか」
 「ああ。仕事は委員長の補佐や、簡単な書記くらいのもんだからな。誰じゃなきゃ出来ないってものでもない」
 「わかりました」


  すっと左腕を上げ、ピタリと斜め45度のところでとめる。人差し指だけを伸ばした、所謂「指差し」状態で。


 「彼を―――蛭魔君を指名します」


  ぶふぉっ、といたるところで吹き出す声が上がる。
  担任までもが、あまりの驚愕に眼を見開いたまま停止してしまった。


 「あぁ?!そんな面倒くさいこと誰が引き受けるかよ、この糞委員長っ」


  ジャコン、と何処から取り出したのか良く分からない大きな銃を腰に抱えて、指差した先にいる男が叫んだ。


 「拒否権なんてナシ」
 「ふっざけんなこの――――――――――――」


  そこまで言いかけ、蛭魔の動きが止まった。
  ニヤ、と口の端を耳の辺りまで吊り上げ、悪戯を思いついた子供の様に眼を輝かせて言った。


 「分かった。引き受けてやるよ」
 『ええぇえぇえぇぇぇぇえええぇ?!』


  あまりに意外すぎた答えに、教室中が騒然となる。
  次の瞬間、バタラタタタタタタタ!と銃声が響いた。


 「うるせー黙れオメーら!―――引き受けてやるよ。但し条件付な」
 「条件?」


  彼の口から飛び出した胡散臭い提案に、は眉を顰める。


 「そうだ。期間は1週間」


  生き生きとした声と表情で、蛭魔はこう続けた。


 「俺が1週間、糞委員長サマの補佐に着く。俺が途中でイヤんなって投げたら俺の負け。
  向こう1年間、しっかり副委員長やってやるよ」
 「―――――――――」


  何を考えているのだろう、この蛭魔という男は。
  頭をフル回転させながら、彼の次の言葉をは待った。


 「ただし、だ!俺は部活の部長もやってる。そっちの仕事も抱えながら副委員長なんて無理な話だ。俺にも補佐が欲しい」


  椅子に座ったままの蛭魔から、に向けられる視線。
  その目には謂い様もない自信と、好奇心とが存在していた。


 「1週間、お前には俺の部活の補佐もやってもらう。もし途中で投げだしたりしたら」
 「―――投げ出したら?」


  わざとらしく作られた沈黙に、は思わず問い返す。
  すでに彼の―――蛭魔妖一の、悪魔の術にはまっているとは微塵も気付かないまま。







 「お前は、俺の奴隷決定だ」



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  あぁ、神様。
  この世には悪魔が潜んでいたのです。

  神々しくさえある金の鬣を揺らしながら、人の心を弄ぶ、悪魔が。

  あの時、あの瞬間から、私の心は知らず知らずに、あの悪魔に喰われ始めていたのです。


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