空は、青く。

  雲は、白く。

  そこにあるべき物のように収まったその光景に、大きく息を吸い、そして飲み込んだ。

  始まりの季節。

  新しい何かを期待させる始まり。

  それは、誰も与り知らない所で、本人すらも自覚しないほど僅かな、とても僅かな、

  心の移ろいを生み出していくのだ。

  新緑の息吹と、見えない始まりと共に。



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 「あ、先輩!おはようございます!」


  遠くから自分を見つけて腕を振るセナに、は微笑みながら応える。


 「おはよ、セナ君」


  JR泥門駅前。
  日曜とはいえ、まだ早朝とも言える時間帯である。
  人影はそう多くはなく、これから街へでも繰り出すのだろう、自分たちと同じように待ち合わせらしき
  グループが数組、思い思いの場所に散っているだけだった。
  は、ぐるりとセナのいるグループの人間を見渡した。


 「あれ?栗田君も蛭魔君もまだ来てないのね」
 「あ、はい。待ち合わせ時間は・・・もう過ぎてますね」


  おかしいなぁ、とばかりに腕時計に目をやるセナ。
  は胸の前で腕を組み、溜息をついた。


 「全く・・・助っ人まで呼んどいて、自分が遅れてどうするんだか」


  セナの後ろには、この試合の為に呼び出されたのだろう助っ人達が、待ちくたびれたように
  地面や花壇の縁へと座り込んでいた。
  は、昨日の助っ人探しの事を思い出す。
  蛭魔は20人弱もの人数を一人で集めてきていたが――――――一体、どうやって。
  は咲の言葉を思い出した。

 
 (去年やっぱり助っ人に借り出されて、怪我人も出たから・・・皆出たがらないみたい)


  それでもこれだけの人数が集まるというのは――――――やはり、アレか。


 「これも・・・ある意味人望・・・なのかしら?」
 「え?」


  思わず呟いた言葉にセナが反応し、問い返してくる。
  は慌てて首を振った。


 「あ、ゴメン、何でもないの」


  脅迫手帳。
  一体何が書き込まれているのやら知る由もないが、これだけの人間をたった数時間で動かせる程には
  威力のある代物らしい、ということか。


 (やっぱロクでもないわね、アイツは)


  『脅迫手帳と機銃を抱えて学校を仕切る、泥門の悪魔』。
  前半も、やはり噂だけではなかったらしい。
  これから一週間。すでにしてしまった約束とはいえ、こんな男と学校生活を共にすると考えただけで、
  胃が痛みそうだ。は無意識にこめかみを押さえ、俯いた。

 「大丈夫ですか?先輩」
 「大丈夫よ、大丈夫。ちょっと、自分の軽率さに眩暈がしただけだから」
 「??」

  頭上にクエスチョンマークを浮かべるセナに、笑顔で大丈夫、と返す。
  その時。


 「おー、集まったな」


  ふと後ろからかかる声に振り返れば、張本人のご登場だった。


 「あ、おはようございます蛭魔さん」


  黒い細身の五分丈シャツに、同じく細身の黒のパンツ。
  煌く金とはあまりにも対照的で、だからこそお互いが色めき、浮立つ様にも見えた。
  初春の朝の陽光が、その輪郭をキラリと揺らめかせる。
  陽の光の所為か、それとも。
  は眩しそうに目を細め、思わず手を翳した。


 「全員集まってんな。後はあの糞デブだけか」
 「そういえば栗田さんも遅いですね」
 「罰ゲームだ」

  セナが再び心配顔で腕時計に目をやると、蛭魔の口元が半月形へと吊り上がり、呟いた。
  その次の瞬間、後ろから響いてきた何かを引き摺る重低音に、その場にいた助っ人含め全員が
  何事かと音の主を探し視線を彷徨わせる。

 「な、なんの音だコレ?」
 「さ・・・さぁ」
 「皆おまたせー」

  いつもの明るい声と例の重低音をハモらせ、現れたのは巨体。

 「なななな、栗田さんそれ・・・っ」
 「ケケケ、荷物運びだ。罰ゲームな」
 「わりと重かったね、コレ」
 『えええぇえぇえぇえええぇ?!』


  ケケケケケ!と高笑いする悪魔。涼しい顔をして、全員分の装備を抱える巨漢。驚愕するその他大勢。
  やはり、1週間の交換条件は早まりすぎたかもしれない。は改めてそう感じた。


 「あ、そういえば」

  セナがいち早く驚愕から立ち直ったのか、の方を向き直った。

 「昨日、僕たちが帰ってからルールのテストしたんですか?」

  そう。
  昨日の助っ人集めの後、栗田やセナは一足先に下校したが、は蛭魔の命令で残されていたのだ。
  理由は、助っ人集め免除の代わりのルール暗記。
  アメフトのルールなど全く知らなかったに、自分たちが戻ってくるまでに覚えろと、蛭魔から出された課題だったのだ。

 「したわよ」
 「結局どうだったんです?大丈夫だったんですか?」
 「それがねぇ・・・」

  は、昨日の状況を脳裏に浮かべながら、セナに耳打ちするように小声で説明した。

 「ひとしきり、基本的なルールの応答やっただけ。あんまり突っ込んだ問題は出さなかったわね、アイツ」
 「へぇ〜。でも確か、ちゃんと覚えられなかったら奴隷決定だったんですよね、先輩」
 「そんなこと言ってたわね。てっきりあの男の事だから意っっ地悪い問題でも出してくるかと思ったわ」
 「俺がてっきり何だって?」

  不意をつかれて、セナと2人の肩がびくりと揺れる。
  そこには、栗田や助っ人達と共に装備入りダンボールを積み込んでいたはずの蛭魔の顔があった。

 「ひひひひひ蛭魔さん!な、なんでもないです、なんでもっ」
 「ケケケ。おら、行くぞ糞委員長」
 「はいはい」


  試合前で高揚しているのか、それともただ慌てふためくセナの様子を楽しんでいるだけか。
  妙に上機嫌な様子で前を歩く蛭魔と、その後ろを慌ててついていくセナの後から、も2人に続く。
  ダンボールを積み込む作業を手伝いに駆け出したセナを見送ってから、ふと横を向けば、蛭魔の顔。
  

  そこには、狂喜を秘めた戦う男の目があった。

  
  今日は大会。
  負けたら、そこで終わりなのだ。


 「ねぇ」
 「あ?」

 
  思わず、声をかけていた。


 「試合、頑張ってね」


  言葉は、自然と口をついて出た。


  それは、契約からじゃない。
  思いがけず目にした、全てを賭けて挑んでいく男への、素直な気持ち。


  その言葉を聴いた途端、蛭魔の目が大きく見開かれ、次の瞬間細められる。
  口元に、あの自信に溢れた笑みを浮かべて。


 「たりめーだ」


  彼らを乗せた電車が、動き出す。
  力と、速さと、頭脳が支配する、新緑の戦場へと。