『4月27日、水曜、雨。』 2日後。 水曜日の放課後、再び第2音楽室を訪れた悠は、先日と同じく室内から聞こえてくるピアノの音色に気づいた。 どこかで聞いた事のある旋律。どうやら、今日もは来ているらしい。 出来るだけ音を立てぬよう、慎重にゆっくりと扉をスライドさせる。 窓からは、木漏れ日。 部屋の右奥から聞こえてくる旋律は、美しく、ただどこか空虚で淋しさを湛えた様にも聞こえる。 その脆く欠けそうな音の粒達に、の瞳の色を思い浮かべ、悠はゆっくりとピアノへ近づいていった。 「あ、来てくれたんだね」 気配に気づいたのか、が演奏を中断し、椅子から立ち上がる。 「ごめん、邪魔したかな」 「ううん、鳴上君が来てくれて嬉しい」 先程の演奏に感じられた淋しさは、の表情からは読み取れない。 心の底から自分の来訪を喜んでくれているのがわかる、そんな満面の笑顔だった。 「今日は、他の用事ないの?」 ピアノから離れ、教室の椅子を自分の方に押して薦めながらそう尋ねてくるに、 悠は椅子の背もたれに手をかけ、引き寄せながら静かに頷き返す。 「昨日はバスケ部だったけどね」 雪子の救出に成功したのは、先週末の話。 なれないペルソナ発動と、ダンジョンの探索に苦労はしたが、無事に雪子を救出できた。 陽介にしろ、千枝にしろ、雪子にしろ、人は簡単に他人からは見えない心の苦しみを持っている。 それは他人からだけではなく、自分自身ですら蓋を閉じ、見えないフリをさせてしまうほど。 ・・・目の前の少女にも、そんな心が存在するのだろうか。 「そっか、バスケ部にも入ってるんだね」 一瞬、思考に入りそうになった所を、の明るい声色に引き戻される。 「ああ、向こうの学校でもやってたから」 「鳴上君、背、高いもんね。羨ましいなぁ。私なんて、図書室のちょっと上の方の本取るだけで大仕事だよ」 神様って不公平だ、と軽く頬を膨らませるに、自然と微笑みを浮かべてしまう。 並んで座った、変哲のない椅子が二つ。とりとめもない雑談。 今日のお昼はお弁当だったとか、朝遅刻しそうになって慌てて出てきたとか。 そこにあるのは、いわゆる普通の高校生の会話だったが、 屈託なく話すの顔を見ながら、悠はやはりどこかに違和感を感じ続けていた。 ふ、と悠の目がから外れ、彼女の背後、ピアノに一番近い壁の上部にかかる時計を見た。 時刻はすでに、16時半近くを指していた。 「、今日は部活は?」 2日前の吹奏楽部の見学の後、顧問に合唱部の事を聞いてみたのだ。 活動日は週に2日、水曜と金曜。 顧問が吹奏楽部と兼任のため、この曜日になっているらしい…のだが。 悠がこの第2音楽室を訪れてから数十分、新たな来訪者が訪れる様子はなかった。 「あー、うん。今日は、休み、かな?」 「かな?って」 お茶を濁すような物言いのに、悠は苦笑する。 「活動日、一応水曜と金曜なんだけどね」 「ああ、顧問の先生が言ってた」 先を促すような悠の視線に、は少し俯いて答える。 「部員、あんまりいないんだ。その人達も、別の部活とかバイトで忙しいみたいで」 ほとんど、私一人みたいなもんかな。 そう言って笑うの瞳には、2日前の別れ際と同じ色が浮かんでいた。 それ以上を聞けず、黙ってしまった悠に、は慌てて言葉を続ける。 「あ、でも大丈夫だよ!一人なら一人で、ピアノの練習出来るしね」 大きく開いた掌を二つ、自身の顔の前で振りながら繕う。 気を遣わせちゃってごめんね、と笑いながら言う彼女に、悠は告げた。 「は、本当にピアノが好きなんだな」 ぴくり。 その瞬間、ほんの僅かに、の顔が引き攣る。 それは他人からは感じ取れないほどの、本当に僅かな間だけだったが。 「うん、大好きだよ。小さい頃から、ずっと続けてきたんだしね」 ピアノを弾いてる時間が、何より大切で楽しいの。 そう続いた言葉の影に隠れた心を、今の悠には知る由もなかった。 「そうだ、何か弾いてよ」 「ええっ!?」 「この前も、今日も、ちゃんとのピアノ聞いた事ないしさ」 「ううう…なんか、こうやって改めて言われると、恥ずかしいなぁ」 突然の悠の言葉に困惑しながらも、は曲のレパートリーを頭の中で探っているらしい。 「そーだなぁ…鳴上君が知ってる曲の方がいいよね」 「いや、が好きな曲でいい」 「うーん、じゃあ・・・」 そう言いながら、自信なさげにグランドピアノの前に進み出る。 ず、と椅子が引かれ、彼女が静かに鍵盤へと向かう。 静謐。 先程まで自分と言葉を交わしていた、よくいる普通の高校生だった彼女の空気は、すでに消えていた。 一瞬で黒と白のコントラストへ引き込まれたような。 瞬きさえも躊躇われるほどに、細く引絞られた弦を思わせる緊張感を破ったのは、音色。 溢れ出る。全てが。とめどなく、彼女から。 ほんの僅かな時間に思えた。ふ、と音が止む。 前を見ると、おずおずと椅子から立ち上がるがいた。 「・・・ごめん、知らない曲だった?つまらなかったよね」 申し訳なさそうにするに、悠は首を振って答えた。 「いや、そんな事ない。すごく良かった。なんていうか…」 少し考え込むように口元に手を当て、視線を落とす。 「全部、持っていかれるかと思った」 「え、どういう意味?」 「俺にもよくわからない」 「なぁに、それー」 どんな感想なの、と笑う。つられて悠も笑った。 言葉にするには、自分にはまだ色々な物が不足していると思えた。 「何ていう曲?」 「月の光、っていうの」 「それ、何だか聞いた事ある名前だな」 「ドビュッシーの月の光は有名だよね。でも、これは違う人の曲。本当は歌の曲なの」 だからなのだろうか。押し寄せる音と感情の中に、切なさと苦しさが紛れていたような気がしたのは。 そう内心で呟きながら、悠はに言った。 「また、聴きにくるよ」 告げられたの顔には、静かな優しい微笑みがあった。 「…うん、待ってる」 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: いやぁ、無駄に長い。orz そしてやはりヒロインの設定がまだぜんぜん見えてきてない…。す、すいません。 これ、もしかしてヒロインちゃんの設定を別にupした方がいいんでしょうか。 このペースで書いていくと、予定してた話数の倍くらいいってしまうかもしれぬ。 早く、ヒロインちゃんの素性がわかるところまで話が進められるように頑張ります…。 ちなみに、ヒロインが番長に頼まれて弾いた曲は、フォーレの「月の光」です。 ピアノ独奏ではなく、歌曲なのですが、伴奏部分が非常に魅力的でそこだけ抜き出しても 作品として成立してるんじゃないかな、と思います。 ご興味がお有りの方は、ぜひ聴いてみてください。 |