<<5月18日、水曜、晴れ>>





その日は、初夏の日差しに恵まれた一日だった。
抜けるような青空の下、は学校の屋上から、雲がたなびく様子を眺めていた。
いつもは誰かしらいるはずの屋上だが、今日はどういう訳か自分達の他には誰も見当たらない。
珍しい事もあるものだなぁ、と心の中ではごちた。



がちゃり、と背後で音。後に、重い金属音が続く。


「鳴上君、こっちこっち」


は振り返り、手を振った。

屋上へとを誘ったのは、悠の方だった。
今日は弁当を持ってきているから、一緒に食べよう。
そう悠に声をかけられ、一足先には屋上へと来ていた。

2人が一緒に昼食を共にするのは初めての事ではなかったが、先日の第2音楽室での出来事が、
の心を多少重苦しいものへと変化させていた。


『…鳴上君は、自分じゃない自分になりたいって、思ったことある?』


雨が滲んでいくように、じわりと染み出た言葉。

悠に、どう思われただろうか。
ただの女子高生の戯言だと思ってくれていれば、それで良い。
でも、もし―――――自分の過去を、彼が誰かから聞き及んだら。

その時は、きっとこのような時間も、2度と訪れる事はないだろう。
あの第2音楽室もまた以前のようになるのだ。誰も訪れない教室で、ただ一人で。

ぞっとした。

一人で過ごす事には慣れていたはずなのに、いつの間に、どうして。
いや、理由ははっきりとしていた。

だからこそ、失いたくなかった。あの部屋を。あの時間を。


「今日は、誰もいないんだな」


悠が屋上を見回しながら、自分と同じ事を口にする。
そんな些細な同調にすら喜びを感じている自分に、は内心呆れながらも笑った。


「珍しいよねー。でも、独り占め出来てるみたいで嬉しいな」
「何を?」
「これ」


人差し指を1本、真上へ立ててみせるに、悠はつられて上を向く。


「あぁ。良い天気だしね、今日」
「うん。最高のお弁当日和だよ」


そう言いながらは、屋上の端にある段差へと向かい、腰掛けた。
悠もそれに続き、の隣へスペースを空けて座る。
2人の間に置かれた、悠お手製のお弁当。
少し大きめのステンレス製のそれには、色とりどりの料理がきっちりと収まっていた。


「うー、美味しそう!ほんとにいいの?」
「ああ。一緒に食べようと思って、多めに作ってきたから」


遠慮なくどうぞと薦めてくる悠に、いただきまーす、と箸を伸ばす。


「美味しー!何これ、何が入ってるの?」


彩りの良い卵焼きを一口齧ったが、感激した様子で悠に訊ねる。


「青海苔と、桜海老。あと、ちょっとだけ昆布茶」
「へぇー、昆布茶かぁ…もー、ほんっとに美味しい。ね、もう1個もらってもいい?」
「どうぞ」


が嬉しそうに卵焼きを頬張るのを眺めながら、悠は心の底に暖かい物を感じていた。

ポテトサラダに箸を伸ばし、自分の持っていたパンと交互に食べながら
おいしー、と繰り返すに、それは不意に告げられた。


「しばらく、第2音楽室へは行けないと思う」


の箸の動きが、止まる。
表情は見えなかった。二人の間へ置かれた弁当箱へと伸びる箸を見つめているような格好だった。


「これから、放課後忙しくなりそうなんだ」


ごめん。そう言いながら悠は、昨晩0時の出来事を脳裏に浮かべた。
巽完二。確かにマヨナカテレビに映った彼を救わなければ。
このまま放っておけば、確実に完二は犠牲になる。
そうなる前に。雪子を助けた時の様に、自分達が動かなければ。
目の前の少女の事も気がかりである事は確かだったが、今目の前に迫っている事件を、
おそらく唯一であろう対抗手段を持つ自分達が見知らぬフリをする訳にはいかない。

悠は、先ほどから反応のないを案じるように、再び声をかける。


「…?」


再度の呼びかけに、はびくり、と肩を揺らした。
ゆっくりと視線が上がる。悠の肩ほどまで。しかし、目が合う事はなかった。


「あ、うん。分った。気にしないで!鳴上君、合唱部員ってわけじゃないんだし」
「ごめん、また落ち着いたら顔出すよ」
「いいっていいって。私も、暫く予定が入ってて忙しいし」


一呼吸の間。上がりかけていたの視線が、再び2人の隙間へと落ちていった。


「…しばらく、あの教室も空っぽ、かな」


明るい、声色だった。視線とは、対照的な。





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相変わらず進みの遅い話ですみません…。
まだあまり核心部分に触れる事ができていないのですが、
ヒロインの過去設定については、次話かその次くらいで
あらわにしていける予定です。

卵焼きのレシピはただの私の好みw